或る校閲者のblog

校閲の仕事のことや、日常のことなど、徒然なるままに綴ります

ムーミン谷の舞台

センター試験の地理の問題でミスがあったようです。

ムーミン谷の舞台をノルウェーフィンランドかと問う問題ですが、ムーミン谷の舞台は原作では明示されていないとのこと。ムーミン谷の原作者であるトーベ・ヤンソンフィンランド人であることと、ムーミン谷の舞台がどこであるかはまた別問題です。

 

通常の校閲なら、「舞台もフィンランドでよいですか?」などと指摘を入れるところなので、個人的にはミスだと考えています。

けれど、センター試験の問題では「ノルウェーフィンランドを舞台にしたアニメーション」と記述されていますので、原作ではムーミン谷の舞台が明示されていなくとも、アニメーションでムーミン谷の舞台ががフィンランドであると描かれていればセーフだと思います。が、おそらくアニメーションでもそういう表現はないのでしょうね。

 

センター試験ともなると多くの人が校閲しているとは思いますので、先入観の恐ろしさをあらためて思い知らされます。

 

フィンランド大使館広報の方の「ムーミン谷は物語を愛する皆さんの心の中にある」というコメントにちょっと笑ってしまいましたが、結局この方もムーミン谷はフィンランドにあると言えないわけで、やっぱりミスということになるのではないでしょうか。

校閲者としては気を引き締めたいものです。

 

読書週間事業講演会「出版社の本づくり秘話 伝えたい編集・広めたい営業」

図書館で講演会をやっていると聞きつけ、参加してきました。

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筑摩書房平凡社原書房・柏書房社長、元社長4名による講演会とのこと。

 

さて、感想としましては編集の話はさることながら、営業の話が非常に興味深く楽しかったです。書店営業はすっと想像できたのですが、図書館営業なんてのもあるのだなあと。。各地を営業して回ってかつ本を売り込むのだから体力って大切ですね。

個人的に筑摩書房顧問の菊池さんの、「自社の本しか読んでない営業はいらない」という強いお言葉が印象に残っています。直木賞芥川賞本屋大賞など、全ては読めないとしても自分が読める分の本は読んでほしい。自社の本の宣伝をするにあたっても、他社の本を読んでいるからこそわかる、みえてくるものもあるでしょうし、「営業こそ本を読め」というスピリットは金言であるなと感じ入りました。

 

全体として会場には「本が好きで好きでたまらない」という人々の熱気にあふれていていました。出版不況といわれているけれど、なんとか本が読まれるようになってほしい、本をみんなに読んでほしい、そういう信念をもった参加者が多いなと。中でも非正規雇用の司書職の方の、「本を買いたくても収入が少なくて買えないのが悔しい、もどかしい」という話は身につまされました。日本の司書はほとんどが非正規採用ばかりで、正規職員は一部の自治体の公務員枠といったもので、本当に狭き狭き門です。専門職であり資格も必要とされるのに、一体どうしてこれほどにまで非正規採用が多くなったのか、司書が軽んじられてしまうようになったのかが私には不思議でたまりません。十数人規模の小さな出版社が何千とある日本では、収入の少なさは出版社員も書店員にも共通していることだと思いますし、出版業界の全体の貧しさのようなものを感じて切なくなりました。

そうはいっても売れる本は売れますし、いい本もたくさんあります。図書館の予算が少ない、待遇が悪い、というマイナスの面をみて嘆くばかりではなく、どうすれば出版業界をより元気にさせられるのか、改善できるのかということを前向きに考えていきたいですね。

私にできることは日々の校閲の仕事を頑張って紙媒体の質を保つこと、そしてこうした思いを発信して同じように感じる方を一人でも増やしていくことかなあと思いました。名の知られてない個人でもいくらでも発信できる社会ですから、どんどん活用していこうと思います。

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各出版社の本など

ふらっと立ち寄った図書館で、本当に貴重で面白い話を伺うことができたので、社長・元社長四氏ならびに講演会事務局の方々にはただただ感謝です。

お詫び・訂正記事のこと。

この間、某新聞の夕刊にお詫び記事が掲載されていました。

お詫び記事を新聞や雑誌などで目にすると、ついつい(一体何をミスしてしまったのだろう)と興味をそそられて読み込んでしまいます。大抵の場合は、とても難しい内容や確認不可能な事柄などではなく、思い違いや製作途中での不備といった人間のミスから生まれることが多いです。

 

目にしたお詫び記事も確認していれば気づくことのできたミスのようでした。

鉄道橋が「今世紀初頭」に建設されたとあるのは、「20世紀初頭」の誤りで、建設時期が1900年代初頭なのを思い違いで誤記してしまったとのことです。

 

現在を20世紀であると勘違いしていたことで起こったミスかな、と最初は思ったのですが、文章を読むにどうも建設時期を2000年代初頭と捉えていたのでしょうか。「今」と「20」というたった一マス分の字の違いですが、1900年代と2000年代では100年も違うわけで、当然に大きな違いです。校閲という仕事は、その一文字を大事に大事にしなければなりません。

「数字」や「固有名詞」などは特に注意深くみなければいけない部分であるので、複数の人々の目を経ているにも関わらず見落としてしまうというのは、同業者として身につまされる思いがしました。

 

ミスをなくすには体調管理も重要。近頃ぐっと寒くなってきたので、手洗いうがいに睡眠も十分に取るようにしなければいけませんね。

自己紹介とか。

今日からblogを始めます、夏野織子(ニックネーム)と申します。

普段は校閲者として働いています。

フリーランスの方も多い業種ですが、私は会社で専門職として採用されて、数えて三年ほどこの仕事に携わっています。

机に座ってゲラとにらめっこをする根気と忍耐のいる仕事ですが、もともと活字が好きな自分に合っているのか、とても楽しくお仕事をしています。

そんなお仕事の中で気になったことや日本語に関すること、日常のあれこれをこのblogでは綴っていくつもりです。

 

校閲とはそもそも何か。

昨今では石原さとみさん主演の「校閲ガール」というドラマや、その原作である小説などの影響で、知名度が高まっているかとは思いますが、まだまだ実際の現場や現場の人間が考えていることについては知られていないことも多いと思います。

「鳥の目 虫の目 魚の目」という言葉があります。

人生訓やビジネス現場で用いられることもありますが、この言葉はそのまま校閲という仕事にも適用できるものだと思っています。

「鳥の目」はマクロな目でゲラと向き合う作業。タイトル、見出し、ゲラの全体を見渡したときに感じる違和感その他を拾い上げていきます。

「虫の目」はミクロな目でゲラを見つめる作業。同音異義語異体字など、一つ一つの文字を見て誤字脱字がないかを確認していきます。

「魚の目」は流れを掴んだ上でゲラを確認する作業。前後の文脈から明らかにおかしい点や、矛盾している箇所、趣旨に反する部分など、一つ一つの文字を見ただけでは拾い切ることのできない、読解して分かる誤りなどを正していきます。

単純な文字のミスであればパソコンが修正できるでしょうが、最後の「魚の目」の作業はまだ人間でなければできないことだと思っているので、人工知能校閲という仕事がとられてしまう恐れはしばらくないかなあと考えています。

とはいっても、いずれ人工知能が人間の手を借りずに小説を書けるようになれば、校閲という仕事は人間に任せる必要はなくなるかもしれません。

それまでは一校閲者として、品質を損なうことのないよう責任をもってお仕事を続けていくつもりです。

 

さて校閲者と銘打ったのでこのblog内の文章に誤字脱字や日本語の誤りがないかびくびくしてしまいますが、いかんせん仕事終わりのへとへとの脳みそで綴っている文章なのでどうかご容赦ください汗 (後で読み返したときに自分で気づいた箇所があればこっそり修正していくかもしれません)

 

そんな感じでゆるゆると綴っていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。